今年、ある方々と談笑しているとき、「冬、旭岳温泉周辺(標高1,100m)でテントを張って寝る」
ということができる、というお話を聞きました。
「なぁんにも聞こえない静かな夜の中でね、みんなで火を囲みながらしゃべってるの。
ホットワインとか、ウィスキーとか飲んで」
「へぇ、すごいですね! そんなの誰でも出来るんですか?」
「出来るよ。だって小学生の自然体験キャンプでもやってるんだ」
その話を聞いたとき、わたしの中でグワーッと妄想が膨らんでいきました。
真冬の凜と張り詰めた空気の中。白光に輝く月明かりと、それを雪が反射して
影が出来るほど明るい真夜中。
気の知れた仲間たちと酒を酌み交わしながら、時に笑い時に静かに語り合う。
もともと「冬の夜」が大好きなわたしは、一瞬にしてそんな情景に微笑んでしまった。
というわけで、先日その旭岳温泉の付近でスノーキャンプをやってきました!
今回は楽しみ、というわけではなく、自然体験に関する講習会への参加でありまして。
遊び方や冬の体験活動におけるリスクマネジメント、その他冬の野外での調理実習とか、
そういったものを学んできたんですが、その中での「冬季野外泊実習」なわけです。
その中では、外で豚汁&キムチ汁(+それにうどんをいれた)を食べたり
雪も降っていないように見えるけど、空気中には小さな雪か水蒸気が飛んでいるので
晩御飯を19時に食べ終えたら何もすることがないので、小さなテントに男5人が入って、
酒を酌み交わすわけです。
ホットワインに焼酎、ビール。
北方の方々がアルコール度数の高いお酒を飲むのがわかりました。
寒さであまりお酒が回らないですし、しかもあの喉元を酒が通り過ぎ「カーッ!」とする感じが、
なんともいえないんです。
夜は、かなり吹雪きました。
テントがバッサバッサ揺れて。
そんな深夜2時。どうしても喉が渇き、お水をテント内に持ってきてなかったので、外に出た。
あたりを散策。
吹雪。
時折目も開けてられないようなほどの強さ。
遠くで激しく川が流れるような音が聞こえる。それが吹き荒ぶ風と山々の咆哮であることに気づく。
吹き上げる風と雪の上空で、冷めた月が光を放ち、雪上にくっきりと巨木の陰がうつる。
圧倒的な自然の存在そのものを感じる。
そして、その瞬間。笑ってしまった。
目に見えない巨大な存在が、そこに確かに存在することがわかったからだろうか。
うまくは表現できないけど。
それでも、笑ってしまった。
翌朝。
目が覚めると7時です。
きちんとした服装を着てシェラフ(寝袋)で寝ると、寒いどころか暑さを感じるくらいでした。
気合を入れてシェラフを出て、テントの外に出るとビックリ。
昨日作った道が跡形もなくなくなっています。
当然足跡も。
全部風で整地されてしまったんですね。
朝食は、暖かな雑炊。
外に出て冷えてしまった身体に染み渡るような暖かさでした。
その後は、自然発生的に雪合戦になり。
そして、スノーシューを履いて周囲を散策です。
この日は暖かくなって、雪が少し重い。
樹木にはとろろ昆布のようなサルオガセがありました。
また、なんとオコジョを発見!
ガイドさんたちでも滅多に見れず、旭岳周辺でもいるけど見たことの少ない希少な存在。
国際自然保護連合のレッドリスト(絶滅危惧種)にも登録されている貴重な存在でもあるんです。
決して立ち止まることなく動き回っていたので、写真は撮れず、足跡だけ・・・・・・
原生林の中を歩くスノーシュー。時折急な坂を滑り降りたり、雪煙を上げながら勢いよく走ったり。
楽しいヒトトキでした。
たっぷり歩いた後は、昼食(もちろん調理実習を兼ねてですよ)。
献立は、北海道といえばのシチュー!
そして!
ダッジオーブンで焼かれた、鳥の胸肉と子鹿のロース肉です!
といった感じの1泊2日のスノーキャンプ体験でした。
ホント面白かった。
家族とかかなり親しい仲間たちと一緒なら、より一層楽しいはず!
夜7時には晩御飯も食べ終わり、あとは小さなテントの中でじっとしてお酒を飲み談笑するわけ。
状況によっては厳寒の中、火を囲みそれを出来るわけです。
まさしくアウトドアの醍醐味。
寒さは旭岳温泉周辺としては、本格的な冬に比べてまだまだ暖かい(?)
夜で-10℃くらいですが、きちんと暖かい服装、帽子、手袋などをすれば問題ない。
あとは、濡れないようにすること。
下着や靴下。
これらが濡れると、気温が気温なのですぐに冷たくなる。
そうするとどうしようにもならないほど冷たい。
だから濡れないようにする。
濡れたらすぐに変えちゃう。
それだけでずいぶんと寒くなることを防げるものです。
その他は、寝袋で寝ますので肉体的にはかなりきますけど、
こういった自然を感じ、その中でのヒトトキはなんともいいがたい大事なものであります。
大自然の存在そのものを感じることが出来るんです。
その荒れ狂う世界の中でひとり立つと、孤独を感じました。
それは、けっして寂しさを感じる孤独ではなく、生命を感じる孤独でした。
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