キトウシ森林公園の東側に富山神社がありますが、
役場前の道をキトウシ森林公園に車を進めますと、
鳥居がかなり手前から目に入ってきます。
この富山神社は名前のとおり富山県出身の先人が建立したものですが、
静かにひっそりとたたずむ本殿は長い歴史を感じさせます。
境内を入りますとすぐ『富山神社沿革碑』 が目につきますが、
碑文には「明治28年佐々木定多氏を団長に富山県人20戸が入殖し、明治32年に
天照大御神をお迎えし、富山神社と名称」と書かれてあります。
東川神社が明治33年の建立ですので、この頃に東川町内の主な神社の
建立が続いたことが分かります。
また役場方面から鳥居に向かって来ますと、
鳥居の少し手前の左側に『水稲発祥の地』の石碑が見えますが、
この碑文には「東川の稲作は明治29年に(先ほど登場しました)佐々木定多氏が沢田喜一氏に
5アールの水田を造らせたことに始まる」とあります。
道内有数の米作地帯である東川町の稲作の起源がここにあったと思うと、
感慨深いものがありますが、
ここでも富山県出身の先人が関わっておりました。
伝統文化の『越中おどり子ども保存会』などの歴史的な関わりも考えますと、
富山県と東川町の深い結びつきを、今さらながらに
感じてしまいました。
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